Floyd Roseの軌跡 Part 2:変遷と現在篇 — 製造をめぐる旅、ドイツから日本、そしてアメリカへ

「Floyd Roseの軌跡」(全4部)の第2部です。

前回のPart 1では、フロイド・ローズがガレージで生んだ発明が、わずか数年でFRT-5という完成形にたどり着くまでを追った。今回は、その完成したユニットが世界へ広がっていく「製造をめぐる旅」の物語だ。誰が作り、どこで作られ、なぜ作る場所が変わっていったのか——スペック表には載らない、ビジネスの視点から見たフロイドローズのもう一つの歴史をひもといていく。

目次

一人では作りきれない

FRT-5が完成した1983年、フロイドローズの人気は発明者一人の手作業ではとても追いつかないレベルに達していた。シアトルの工房で1台ずつ削り出す——そんな牧歌的な時代は、すでに終わっていた。

ローズが供給体制の主軸として組んだのが、当時エレキギター市場のトップランナーだったクレイマー社だ。クレイマーはフロイドローズを目玉機能として自社ギターに標準搭載し、一気に量産の波に乗せていく。エディ・ヴァン・ヘイレンのシグネチャーモデルにも、当然のようにフロイドローズが載っていた。そして実際の製造は、ドイツの老舗パーツメーカー、シャーラー社へと移っていく。以後、オリジナル・モデルは長らく”ドイツ製”として作られることになる。

日本での知られざる物語——フェルナンデスと京都

一方、日本市場向けの生産を託されたのが、前回も名前の挙がった商社フェルナンデスだった。ここには、あまり知られていない込み入った経緯がある。

まず押さえておきたいのが、フェルナンデスは”商社(マーケティング会社)”であって、自らは何も製造していなかったという事実だ。実際のユニットは、京都をはじめとする日本国内の工場が作っていた。ローズが自ら削り出したワックス型(原型)を日本へ送り、それをもとに京都の工場が公式の日本製ユニットを量産する——初期のフロイドローズの部品の一部は、こうして京都で製造されていたのだ。「フロイドローズが日本の、しかも京都で作られていた」というのは、意外と知られていない話ではないだろうか。

そもそも両者の出会いからして面白い。フェルナンデスはローズの手作り版をどこかで入手し、それを驚くほど精巧にコピーしてしまう。そして1981年のNAMMショーでそのクローンを本人に見せ、感心させたうえで「今後の公式モデルをうちに作らせてほしい」と契約を取り付けたのだ。こうして最初の量産品が生まれ、フェルナンデスはこれに「FRT-1」という型番を与えた。その後、ローズが送ったワックス型をもとに改良を加えた非ファインチューナー版が「FRT-3」——いずれも、商社であるフェルナンデスが名付け、日本の工場が形にしたものだった。

そして、当時のギターキッズを大いに振り回した”あの型番”も、実はこのフェルナンデスの仕業である。私たちが「FRT-5」などと当たり前に呼んでいる”FRT”という型番、これはフロイド・ローズ本人ではなく、フェルナンデスが自社カタログ用に付けた呼び名だった。ローズ自身は当初、この装置を素っ気なく「ROSE(ローズ)」トレモロと呼んでいたにすぎない。日本の商社が便宜的に付けた型番が、そのまま世界的な通称として定着してしまったわけだ。

しかもこの型番、後年になるほど混沌としていく。フェルナンデスはライセンス契約が切れた後も”FRT”の型番を使い続け、ある時期には同じホエールテール型を「FRT-5」と呼んだり「FRT-7」と呼んだり。さらにドイツ・シャーラー製の本家「オリジナル」も日本で販売していた関係で、そのドイツ版まで「FRT-5」と称していた時期がある。同じ型番が別物を指し、別の型番が同じ物を指す——当時これに振り回されたプレイヤーは、きっと私だけではないはずだ。実に罪な会社である(笑)。

型番だけではない。契約が終わってからのフェルナンデスの身の振り方も面白い。1985年頃にローズとの契約が切れると、フェルナンデスは自社のトレモロ群をまとめて「ヘッドクラッシャー(Head Crasher)」という新ブランドへとリブランドする(のちに「FRT Tremolo System」へさらに改名)。ここで誤解されがちなのだが、これは無許可のコピーへ逆戻りしたわけではない。ヘッドクラッシャーはあくまで”正式ライセンス品”で、ベースプレートにはフロイドの米国特許番号がきちんと刻印されていた。4年にわたり本家を作り込んだ経験を活かし、「当時もっとも出来のよいライセンス品のひとつ」とまで評されるユニットを世に送り出したのだ。

一方で、特許そのものを避けた独自路線も持っていた。1986年に登場した「ボディクラッシャー(FRT-8)」がそれで、こちらは弦をボールエンドのまま張れるストリングスルー構造。ロック機構を持たず、弦のテンションだけでサドルを保持する簡易な設計だった。ロック機構がない=フロイドの特許要素を使っていないため、そもそもライセンスが不要な”回避型”というわけだ。このボディクラッシャーはヤマハ(RMX)やアリアプロII(ART-2)にもOEM供給され、フェルナンデスの枠を超えて広まっていった。

こうした”雑草魂”ともいえる開発姿勢は、日本のフロイドローズ史が単なる下請けの物語ではなく、独自の進化と交渉のドラマでもあったことを物語っている。ちなみに、いま私たちが「FRT-5」などと呼んでいる本家オリジナルに搭載されていたエディ・ヴァン・ヘイレン・レプリカやニール・ショーンのシグネチャーモデルも、元をたどればこの日本での量産期に登場したものだ。

こうして振り返ると、フェルナンデスが日本のフロイドローズに果たした役割は、功罪の両面を持っていたことがわかる。いち早く本家と手を組み、増産と低価格化で「アーミングの自由」を日本のギターキッズの手に届けた功績は大きい。その一方で、独自の「FRT」ブランディングと型番の使い回しは、発明者ローズの名や本家オリジナルとの関係を見えにくくし、日本におけるフロイドローズの立ち位置に少なからぬ混乱をもたらしもした。当時、これがいまひとつ判然としなかったのは、決して私たちの理解不足のせいではなかったのだ。

なお、そのフェルナンデスも2024年に事実上の事業終了を迎えた。FRTとEMGを武器に日本のロックギターを牽引したこの会社の名は、当時を知る世代にとって特別な響きを持っている。日本のロック式トレモロを長年支えたブランドの、一つの区切りとして記憶にとどめておきたい。

ライセンス戦争

フロイドローズがこれほど普及すると、当然ながらデザインを模倣する会社が続出する。あまりの人気ゆえに、無許可の類似品が市場にあふれた。

ローズとクレイマーがとった戦略は、力ずくの排除ではなく「ライセンス供与」だった。各社に正式な許諾を与え、「Licensed Under Floyd Rose Patents(フロイドローズ特許によりライセンス)」と刻印させることで、コピー品を正規品の秩序の中に取り込んでいったのだ。カム式トレモロで知られたケーラー社も一部モデルでこのライセンスを受けており、特許をめぐって法廷争いが起きた時期もあった。結果として、この「正規ライセンス」という枠組みそのものが、フロイドローズを業界標準へと押し上げる原動力になった。(各社のライセンス品や派生モデルについては、次回のPart 3でくわしく取り上げる。)

販売権の移り変わり

製造だけでなく、販売の主導権も時代とともに移っていった。1991年にクレイマーとの独占契約が終了すると、アメリカ市場ではフェンダーが販売を引き継ぐ。日本ではESP社が窓口となった。そして2005年、フロイドローズ社自身がオリジナルの販売権を取り戻し、ようやく発明者の名を冠した会社が自らの製品を主導する体制が整う。

本家が広げた裾野——高級機から入門機まで

自らの製品を手中に収めたフロイドローズ社は、価格帯の裾野も広げていった。ドイツ・シャーラー製の本家「オリジナル」を頂点に据えつつ、コストを抑えた海外生産の廉価版を投入し、より多くのギターに載せられるようにしたのだ。代表的なのが韓国製の「Special」で、亜鉛合金のサドルなどを用いて価格を下げた入門者向けモデルである。また「FRT-1000」は、単体売りはされず新品ギターへの搭載専用として供給された韓国製のライセンス品で、本家に迫る品質とも言われた。

ここで注意したいのは、これらはあくまで”本家フロイドローズ社自身の廉価ライン”だという点だ。前回・次回で扱う他社製のライセンス品や独自設計とは出自が違う。同じ「フロイドローズ」の名を冠していても、ドイツ製オリジナルと韓国製廉価版では素材も価格も別物——このあたりも、フロイドローズというブランドの幅の広さを示している。

40年ぶりの大転換——アメリカへの回帰

そして現在。フロイドローズは、その歴史のなかでも最大級の転換点を迎えている。40年近く続いたドイツ・シャーラー社での製造から離れ、アメリカ・ノースカロライナ州の自社工場での生産へと全面的に移行したのだ。「USAシリーズ」と銘打たれたこの新体制では、品質基準の厳格化と生産スピードの向上がはかられている。

技術面でも新しい試みが盛り込まれた。サドルは工具鋼からCNC加工で削り出され、指板の複数のラウンド(R)に合わせた選択肢が用意された。さらにロッキングナットには金属3Dプリント技術を導入。数十年続いたロストワックス鋳造に代わり、粉末金属を積層造形して焼結する製法で、より精密で均一な仕上がりを実現している。

アメリカのガレージで生まれ、日本とドイツで育ち、そして再びアメリカへ——製造の舞台は一周して原点に戻ってきた。45年以上の歴史を経てなお製法そのものを刷新し続けるあたりに、このブランドの現役感がよく表れている。

次回予告

クレイマー、シャーラー、フェルナンデス、そしてフェンダー。多くのプレイヤーの手を経て、フロイドローズは世界標準になった。だが、その成功は同時に、無数の”子孫”を生み出すことにもなった。

次回Part 3:亜流ファミリー篇では、フロイドローズから枝分かれしていったライセンス品・回避型モデルの家系図を整理する。IbanezのEdgeシリーズ、竹内、ESP、ロッキンガー——どれが本家で、どれが子孫なのか。ロック式トレモロの豊かなバリエーションの世界へ分け入っていく。


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