「MXRの興亡史」シリーズ(全3部)の第3部(最終回)です。
- Part1:修理工房から生まれたペダル帝国
- Part2:ラックマウント時代とスタジオ機材、そして崩壊
- Part3:休眠を経て、Dunlopが遺産を受け継ぐ(この記事)

3年間の空白と1987年の復活
1984年に廃業したMXRブランドは、しばらくの間市場から姿を消していた。この空白を埋めたのが、当時すでにCrybaby Wahペダルなどで実績を積んでいたJim Dunlopだった。
1987年、Dunlop ManufacturingはMXRのブランド権を取得する。復活第一弾としてリリースされたのは、Phase 90、Distortion+、Dyna Comp、Blue Boxという、まさにMXRの原点となった4機種だった。ここでオリジナルの型番(Phase 90=M-101、Dyna Comp=M-102、Distortion+=M-104)がそのまま継承されているのは、前回触れた通りだ。
Jim Dunlopという人物は、実は「ブランドを買収して再生させる」ことに長けたビジネスパーソンとして知られている。すでに1982年にはThomas Organ社からCrybabyの商標を買い取り、Crybaby Wahペダルの大量生産を開始していた。MXRの買収も、この「価値ある遺産を引き継ぎ、量産規模で蘇らせる」という彼の一貫した戦略の延長線上にあったと見ることができる。
エンジニアたちの合流:Jeorge TrippsとBob Cedro
MXRブランドが現在のような形へと発展していく上で、大きな転機になったのが2008年だ。この年、DunlopはJeorge Tripps氏を迎え入れる。
Tripps氏は、もともと自身のブランド「Way Huge Electronics」の創業者だった人物だ。彼とMXRの出会いは意外と個人的なもので、1986年に中古のスクリプトロゴPhase 90を40ドルで購入したのが最初のきっかけだったという。MXRを聴いて育ち、弾き続けてきた——1992年にWay Huge Electronicsを立ち上げたときも、MXRを自分のロールモデルにしていたと本人が語っている。
Dunlopは彼にWay Hugeラインの復活を託すと同時に、MXRチームとの協働も依頼した。ここでTripps氏は、シニアエンジニアのBob Cedro氏とともに、新製品開発とオリジナルのスクリプトロゴペダルの精巧な復刻の両方を手掛けることになる。二人が最初に手掛けた新製品のひとつがCarbon Copy Analog Delayで、これはオリジナル復刻を除けばMXR史上最も売れた新製品になったとされている。また、Custom Comp、La Machine(オクターブファズ)、Micro Amp +、Phase 99といったMXR Custom Shopのラインナップの立ち上げにも関わっている。
Jimmy Dunlop(創業者Jim Dunlopの息子で、現在ブランドの方向性を統括する立場)は、Tripps氏の加入を「創造力という煮込み料理に足りなかったスパイスだった」と振り返っている。それまでのMXRはPhase 90やPhase 100といった伝統的な実用性重視の路線に縛られていた面があったが、Tripps氏の加入によってCustom BadassやSuper Badassのような、より攻撃的でクセのあるペダルにも挑戦できるようになったという。
外部ビルダーとのコラボレーション路線
近年のMXRのもうひとつの大きな特徴が、ブティックペダルビルダーとの積極的なコラボレーションだ。
- MC404 CAE Wah(2009年):Van HalenやJohn Mayerのリグを手掛けたことで知られるCustom Audio ElectronicsのBob Bradshaw氏との共同開発。このプロジェクトはJimmy Dunlop自身が発案し、当時のエンジニアリング責任者Sam McRae氏がリード役を務めた
- M85 Bass Distortion(2015年):Fuzzrociousのビルダー、Ryan Ratajski氏とのコラボ。社内ではScott Shiraki氏がプロジェクトを管理し、Sam McRae氏がエンジニアリングを担当した
- Timmy Overdrive(2020年):ナッシュビルの伝説的ビルダーPaul Cochrane氏との共同開発。Jeorge Tripps氏が開発を統括し、Dunlop側のJoey Ossiek氏が社内プロジェクト管理を担当。設計にあたってはCochrane氏の元設計を尊重しつつ、MXRチームが最終的にLF353というオペアンプを選定し、高出力・高ゲイン・ハイファイな信号伝達を実現している
- Duke of Tone(2022年):Analog ManのMike氏との協業により、入手困難だった名機King of Tone(さらに遡ればKlon Centaurに行き着く)を量産化したモデル。この話をまとめたのもTripps氏で、プロジェクト名の命名と管理はJoey Ossiek氏が担当した
これらのコラボモデルに共通しているのは、「ブティックビルダーの設計思想を尊重しながら、MXRの量産技術と流通網で多くのプレイヤーに届ける」という姿勢だ。もともと1970年代のMXR自体が「高級スタジオ機材の音を、手頃な価格で庶民のペダルボードに届ける」というコンセプトで始まったブランドであることを考えると、この路線は原点回帰的な意味合いも持っているように感じられる。
現在のMXRを支える体制
まとめると、現在のMXRは大きく分けて以下のような人々によって支えられている。
- Jimmy Dunlop:創業者の息子として、ブランド全体の方向性を統括
- Jeorge Tripps:Way Huge創業者としての経験を活かし、MXRとWay Huge両方の新製品設計を担当。攻撃的で個性の強いペダル開発を牽引
- Bob Cedro:シニアエンジニアとして、MXRらしさという「ファミリーバリュー」を守る役割
- Sam McRae:外部コラボにおけるエンジニアリング面のリード役を歴任
- Joey Ossiek:外部ビルダーとのコラボ企画における社内プロジェクト管理を担当
Keith BarrとTerry Sherwoodという2人の高校時代の友人が、ロチェスターの地下アパートで始めた修理業から生まれたMXRは、一度崩壊し、Alesis・ARTという2つのブランドへと枝分かれしながらも、Dunlopという「遺産の再生」を得意とする会社の下で、形を変えながら生き続けている。
手元にあるDual LimiterやOmniのような、いっとき忘れられかけたラック機材にもM-番号が振られ、Phase 90やDyna Compと地続きの歴史を持っている。そう考えると、これらは単なる「懐かしいヴィンテージガジェット」以上の重みを持って見えてくる。
これで「MXRの興亡史」全3部は完結です。手元のDual LimiterとOmniの実機確認ができたら、番外編として動作レポートも書いてみたいと思っています。
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